HOME礼拝説教 2012/09/02 〜 2012/12/02

2012年12月02日 『神様はすべて準備しておられる』

『神様はすべて準備しておられる』  御旨と世界(キリスト教の新しい未来 P.378〜9)


2000年前、イエス・キリストは生命の創造主として、この世界に来られました。彼は、すべての罪人たちをキリストのごとき人につくり変えるために来られたのであります。彼は、地上に天国を復帰するために来られたのであります。それゆえにイエス・キリストは、その第一の福音として「悔い改めよ、天国は近づいた」と宣言されたのであります。イエス・キリストの降臨によって、人々は、事実、その時、天国の入り口まで来ていたのであります。
しかしながら、神様は、世界を復帰するべく、そのひとり子をつかわす前に、そのメシヤを迎えることのできる信仰の基台を立てるために、個人から始めて、国家へと拡大して、その道を一歩一歩整えて、準備しなければならなかったのであります。
結局のところこの世界は、今日まで、ずっとサタンの世界でありました。もし、メシヤが、この地上に準備された基台もなく来られるならば、サタン世界は彼を殺してしまうに違いないのです。ゆえに神は、一つの国家、すなわち、御自身が支配することのできる一つの主権を打ち立てるために、こつこつと、注意深く働いてこられたのであります。イスラエル選民は、そのメシヤを迎えるための準備の結果として生まれたのでありました。神は、イスラエルの国を、メシヤの“着陸地”として準備されたのです。イスラエルの信仰の基台の上に神の最後の勝利者−メシヤを送ることができたのでありました。

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2012年11月25日 『中断のない前進』

『基元節勝利のための統一教世界指導者特別集会における講演文』より  真のお母様


真のお父様は、これから霊界で私たちといつもともにいらっしゃいます。ただ無形でいらっしゃるだけであり、一瞬も私たちのそばを去ることはないでしょう。今私たちに何を望んでおられるでしょうか?まさに中断のない前進です。神様の摂理は、全世界に真の父母を中心とした中で、愛と平和が満ち溢れて心情文化が定着され、新しい秩序が定着するまで続けなければなりません。その上に基元節の勝利を土台として、さらにひたすらに邁進し、天と真の父母様の前に大きな栄光をお捧げし、世界と歴史の前に大きな希望を抱かせてあげなければならないのです。

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2012年11月11日 『大母様のみ言』

『大母様のみ言』(2012/10/27 大役事)


お父様は霊界で摂理歴史中心人物たち全員と会われました。宗教の中心人物全員、国の王様、大統領など。40日期間に真のお父様は霊界でその方たちの報告を全て聴いて、摂理歴史を完璧にする準備されました。食口でない霊人の40日は自分がいくところを探す期間となり、食口は霊界に行って修練を受ける期間となります。
これまで清平役事がなされたため、お父様が霊界で会いたい人を連れてきたら解怨されて絶対善霊になっていました。お父様が探した中心人物たちがよく解怨されている姿を見て、食口が孝子、孝女としての役割をしていることが分かりました。完璧ではないが大きく責任をはたしたことは事実です。
先祖解怨式をしたり、体の中にいる霊を整理することによって、彼らが恨霊が絶対善霊になり、お父様のみ言に授受作用をしながら、40日以後に摂理歴史をともに進行することが、どれほど祝福であるかということを知らなければなりません。
お父様は39日目に「このすべての摂理は霊肉ともにこれからが出発である」と語られました。「すべての摂理はこれからが出発である。清平の摂理も出発である」と語られた。「霊界ではお父様が、地上ではお母様が、真の父母様が一心一体一念になってこれから多くの役事をなす」とおっしゃり、40日が過ぎたあとで「基元節においてもお父様とお母様が一つになって今以上に大きく役事する。すべての食口たちが地上でも霊界でも幸福に生きるためにもっと大きく役事する。すべての人類と霊界にいる霊人たちが堕落性を脱いで神様の創造理想である真の愛を中心とした喜びと幸福を中心とした生活ができるようにしてあげる」とみ言をくださいました。
お父様が中心人物全員と会って、聴いた共通点は堕落性によって責任を果たせなかったということです。
真の父母を中心として真の家庭をつくらなければなりません。天運を動かさなければならない我々の家庭であり私擬、嫉妬、血気、憎悪、偽り、自己、傲慢、不平不満があってはいけないのに、我々の心と体は100%だと言わざるを得ないくらい、堕落性で満たされています。
この堕落性は地上にいる間で整理しなければいけない。
この堕落性は整理することができます。1.堕落性をもって生活するように役事する霊を分立すること。その霊を整理すれば、堕落性を整理することができる。2.日常生活のなかで堕落性を減らしていきながら、生活習慣を真の愛で続けられるように習慣化すれば堕落性をいくらでも脱ぐことができます。一番重要なことは我々が堕落性があると認めることです。私の心の中に、生活の中に、堕落性があると認めなければ整理することは難しいです。
2013年1月13日は、お父様からいただいたみ言どおりに生きてきたその内容と、み言による実績をもって天の前に奉献する日です。地上でも霊界でも復帰しなければいけません。復帰とは伝道です。伝道しなければ絶対に復帰ができない。人間が伝道されなければ絶対に摂理は終結しません。

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2012年11月04日 『絶好の機会』

『絶好の機会』 御旨と世界(創立以前の内的教会史 P.606〜607)


この世界のすべてを知り、そのすべてを超え得た先生の心は、もはや何ものによっても動かされることはありません。巌のごとく固く立った先生です。

自ら指を切って血で誓約を書き、先生の前に忠誠を示さんとした多くの女性たちもいました。宗教的試練を乗り越えるということは実にたやすい業ではありません。周囲に押し寄せてくるすべての誘惑を乗り越えて、基台を築いてきた創立に至るまでの苦難には、実に計り知れないものがあります。そして先生がすべての十字架を越えて勝利したその結実に、今あずかっている自分たちであり、神と先生の前に一言も言えないあなた方であることを知るなら、常に自らを謙虚な感謝に満ちた立場に置くべきです。それは、あらゆる摂理的勝利を成した今もなお、先生が神の前にもち続けている姿勢でもあります。

この7年路程が、かかる苦難の結果としての恵みであることを知ったのですから、この期間をあらゆる体験をなす絶好の機会と思って、呪われ、嘲けられ、飢え、打たれ、迫害されるすべての体験を貴重なるものとしながら「そういう体験があったからこそ、私は神と先生とイエス様の心情を知ることができました」というような歩みをなしたいものです。

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2012年10月21日 『神の解放』

『神の解放』 御旨と世界(全体蕩減 P.859後/3〜860)


サタンは知恵がある。サタンは頭がいいよね。利口だから、先生のやる方法をまねて自分は中心に立つ。そういう者、たくさんいるんだね。自分の欲望を中心としてやる。それは宗教の中で最悪のものだ。その目的は何のため?自分のために。名目は日本とか神とかそういうんだけれど、自分のためである。先生がみんな出発点になっているのに、それを全部さておいてものにする。自分の使うのは泥棒だね。他人の金を持ってきて自分のものに使うのは泥棒だね。強制的に何の許可も得ずして自分のものだと片っ端から主張するのは泥棒である。そういう人を見てみなさい。自分の内部でやられてしまうだろう。これをはっきりさせるんだね。分かりました?蕩減復帰、復帰完成。復帰のための蕩減だ。復帰蕩減。完成を中心として、復帰蕩減して完成する。蕩減されたのち復帰する復帰されて、完成の道を行く。同じことだよ。だから蕩減復帰は一つと思えばいい。
年取った者、統一教会にいる古いメンバーは、みんなどうだ。別の主体者をもっていないか、どうだ?先生はいつでも公的に話して、責任者を公的にたたくんだよ。「おい、ああでかい体して、みっともない格好して、何ブラブラしている!」蕩減復帰だ。そういう腹(別の主体)をもっていたら、引っかかるからね。公的に先生が代表して、世界的に代表して攻撃した場合、絶対服従すれば越える。そうすれば間違いなく出る。出た場合には、先生は黙って見ている。先生が蹴っ飛ばせば最高だよ。大概整理できたね。蕩減復帰。蕩減は何のためだ?完成のためだ。何の完成?自己完成、家庭完成氏族民族国家世界天宙完成のために。天宙完成は何のため?神の解放だ。神の解放をするためだ。目的は神の解放である。そこまで我々は願っている。分かりましたね。
先生はそれが分かったんだから、文句なしに、雪が降っても、風が吹いても、季節が変わっても、春が去っても、その季節を忘れて、一心不乱、蕩減復帰の道をむさぼりつつ、開拓していった道が先生の生涯の道である。

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2012年10月14日 『真のお父様の祈祷文』

『真のお父様の祈祷文』


お父様、三千万民族を哀れみください。行くべき道を知らずに、彷徨し生死の路上で泣きわめいているのであります。彼らの生命を狙っているサタンの目盛りが高まりつつある今日、この現実を悲しむことのできる私たちとなって、彼らの行くべき道を証し、サタンの目盛りを低め、勝利の基台を高めなければならないことを、私たちは知っております。お父様、私たちに力が足りなければ、あなたの力を与え、勇気が足りなければ、あなたの勇気を与えて、ヨシュアとカレブに対して「強く大胆であれ」と言われたごとく、このひととき、私たちと座を共にして、み言を賜りたく、心からお願い申し上げます。そうして、三千万民族の運命を、お父様の祭壇の前に捧げて、お父様の運命と連結させて、たとえ、サタンがこの絆を断ち切ろうと襲いかかったとき、いかなる犠牲を払っても、最後の最後まで戦う天の息子、娘となさしめてくださいますようお願い申し上げます。

今日も、寂しく全国の各地に散らばるあなたの息子、娘たちは、悲しい心情を抱いて、お父様の御前にひれ伏して、涙を流しながら訴えているのであります。何卒、お父様、彼らの友となり心の揺籃となってくださいますようお願い申し上げます。悲しきこの路程において、人間が人間に対して慰め合うことが出来る環境を持たず、辛く寂しい境遇に遭ったとき、その心情を打ち明けることのできる兄弟姉妹の少ない、あなたの息子、娘たちを哀れんでください。このひととき、集いし私たちの心情と心情が触れあうことによって、お父様の心情の世界においては、時間と空間と距離を超越して動いていることを知りました。天の心が動ずる故、私たちの心も動ずることを知っておりますれば、このひととき、み言の導きによって私たちの心を打ち、お父様の心情に触れて感激に浸るひとときでありますよう、心からお願い申し上げます。

許されしこのひととき、み言を持って来られることを願い、何卒、私たちと共に、このひとときをお過ごしくださいますよう、お願いいたします。祝福のみ言も何もいりません。私たちに必要なものは、ただ、私たちに不足しているものを知るべきときであることを悟ることであり、罪人の血統を拭い去ることができずに、審判台の上に立たされることを怖がる心だけが私たちに必要であることを知っております。その体と心を感じながら、その心情をもって、許されたみ言に接することができますよう、お願い申し上げます。

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2012年10月07日 『終末に際して我々がとるべき態度』

『終末に際して我々がとるべき態度』 (原理講論p.172〜75)


・・・新しい時代の摂理は、古い時代を完全に生産した基台の上で始まるのではなく、古い時代の終末期の環境の中で芽生えて成長するのであるから、その時代に対しては、あくまでも対立的なものとして現れる。・・・いまだ旧約時代の終末期にあったときに、新約時代の新しい摂理の中心として来られたイエスは、旧約律法主義者たちにとっては、理解することのできない異端者の姿をもって現れたので、ついにユダヤ人たちの排斥を受けて殺害されてしまったのである。
・・・終末に処している現代人は、何よりもまず、謙遜な心をもって行う祈りを通じて、神霊的なものを感得し得るよう努力しなければならないのである。つぎには、因習的な観念にとらわれず、我々は我々の体を神霊に呼応させることによって、新しい時代の摂理へと導いてくれる新しい真理を探し求めなければならない。


祝福家庭と理想天国(U) (全体蕩減 P.912〜3)

御旨と世界 (全体蕩減 P.893〜4)


・・・君たちがここに入ったのは、君たちが立派な顔をしているから入ったのではない。先祖のため、君たちの先祖のために入ったんだ。何千代のその先祖がみんな犠牲的、奉仕的に神様の声に従うような一念のもとにおいて善なることを成し得て、その先祖たちの善なる、善すべてを集めて、その功労の結実体として統一教会に入っている。だから君たちが先生の時代に集まってそうして会ってから、その命令に従わずして落第生になったらどうなるか?霊界へ行ってみな。これは先祖たちはみんな怒るよ。「この野郎」。大変なことになる。君、統一教会に君のために入ったと思うな。背後の先祖の功労によって入教させたのに何で落第したのか。我々がもし霊界へ行ったら、それはその最初の目的を成し得た者として侍られるべきなのに何だ。霊界へ行って立つ所がないよ。君たちが偉いからではない。先生がこんな、そういう歴史的使命を果たすために来たと考えているとするならば、神は相対圏を自動的に準備するようになっている。環境を創造して、相対自体創造するのは創造原理じゃないの。だから先生は来る前に霊界で準備して、その相対者として会うようにして、みんな集まって来たのに、自分の一瞬のその安楽をむさぼるようなそういう態度は許されない。
だから今までの観念を早く全体にきれいにして、きょう先生に会って得た基準によって、全部を固めて打ち込んで乗り越えなければならないというような決意を固める。分かりました?(はい)。今度から昔みたいな活動をしたらいけない。  (1983.4.3韓国 ニュー雪岳ホテル)

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2012年9月16日 『アベル女性UN創設大会のみ言』

『アベル女性UN創設大会のみ言』


 今日人類が行くべき道はどこにありますか?
 結局、人類の諸般の問題は、真の父母である私たち夫婦が天から受け、生涯を懸けて主唱し、教育してきた「一つの神の下の人類一家族(One Family under God)」思想、すなわち神様を中心とした真の愛の教えによって解決するしかないのです。
 この思想だけが、人類に平和と幸福の道を探してくれうる唯一の道であるためです。
 今日私たちが生きているこの時代は、歴史を変え、霊界と地上界を一つにし、神様が太初から願われた理想天国をこの地上に創建しなくてはならない、歴史的な大天宙的革命期です。
 これ以上延期したり、延長したりする時間がありません。
 天は既に二〇一三年一月一三日を「基元節」として、宣布されました。
 したがって人類は今や、天の命の前に謙虚な姿勢で従うべき時です。
 平和の王であられる神様の実体として、地上で摂理を経綸しておられる真の父母様の導きに従い、残された期間を全力投球、死生決断すべき宿命的な時間が、今日私たちの前に近づいてきたということを肝に銘じてください。

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2012年9月9日 『瞬間(一日)と一生の関係』

『瞬間(一日)と一生の関係』 (天国を開く門真の家庭 37-219)


 アダムの瞬間的な失敗が億千万年の慨を残してきたのです。
 アダム家庭で、カイン・アベルが父母の恨を解いて、兄弟の壁を崩して、一つの家庭の起源をつくらなければなりませんでした。
 このように、復帰摂理の代表として立てられたアベルが死んだのも、瞬間的な事件でした。
 百二十年かかって箱舟を造ったノアの苦労の路程でも、神様が「願いを成就する日が来たので、船に乗れ」と言われた命令も、一瞬に下されました。
 この命令に同調した人は、永遠の神様の祝福を受けることができましたが、そうできなかった人は、永遠の審判圏内に埋葬されたというのです。
 アブラハムも同様です。
 神様が「あなたの子孫をふやして、天の星のように、浜べの砂のようにする。……もろもろの国民はあなたの子孫によって祝福を得るであろう」(創世記二二・一七、一八)と祝福されましたが、その祝福の命令もカチカチという一瞬に下されたというのです。
 アブラハムが供え物をした時間も、何十年間供え物をしたのではなく、たった一日でした。
 祭物を裂いて供え物をする時間は、一時間未満でしたが、ここで歴史的なすべての生死禍福の起源が組まれてくるのです。
 今日、信仰者たちが恐れるべきことは、終わりの日に訪ねてくる審判ではなく、一日一日の生活圏内で訪ねてくる時間です。
 それを、どのようにみ旨と一致させるか、どのようにみ旨と交差路を形成していくかという問題です。

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2012年9月2日 『ために生きる人生』

『ために生きる人生』 (天聖経:宇宙の根本 横P.1549左下〜右)


 知恵の王であられ、全体の中心であられる神様が、真の愛や、真の理想や、真の幸福や、真の平和の起源を、主体、対象、この両者の間のどちらに置かれるでしょうか。これが問題にならざるを得ないのです。
 主体がいる反面、対象がいるのですが、主体のために生きる道と対象のために生きる道、この二つの道の中で、理想の要件をどこに置くのかということが、創造主であられる神様として問題にならざるを得ないのです。
 それで、真の理想、真の愛、真の平和において、主体を中心にして主体が対象のために生きるところに理想的起源を置くべきか、対象を中心にして主体が対象のために生きるところに理想的起源を置くべきかという問題を考えられた神様が、主体の前に対象が「ため」に生きなさいと言う立場にその理想的起源を立てるならば、神様がそのようにすると同時に、すべての人も、自分がある対象をもつことができる立場に立つならば、同じようにするというのです。
 それでは、一つになる道がふさがってしまいます。
 これを知らなければなりません。
 一つになることができ、平和の起源になることができるその道は、どこにあるのでしょうか。
 神様御自身だけでなく、真の人間は、「ため」に生きるところから、真の理想も「ため」に生きるところから、真の平和、真の幸福も「ため」に生きる位置で成立するのであって、「ため」に生きる位置を離れては探すことができないのです。
 これが、天地創造の根本だということを私たち人間は知りませんでした。(75-318.1975.1.16)

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